2013-05-23 第183回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第9号
これは御承知の先生方もたくさんいらっしゃるかと思うんですけれども、青函連絡船が台風で転覆して、乗船名簿に合致しない身元不明のお二方の遺体が上がるというところから問題が展開してまいります。実際、強盗事件だったですか、仲間割れして殺された二人の方がその青函連絡船の御遺体に紛れてしまうということなんですけれども。 現実に、多くの御遺体が集まった場合、どうしても短時間で検案していかなければならない。
これは御承知の先生方もたくさんいらっしゃるかと思うんですけれども、青函連絡船が台風で転覆して、乗船名簿に合致しない身元不明のお二方の遺体が上がるというところから問題が展開してまいります。実際、強盗事件だったですか、仲間割れして殺された二人の方がその青函連絡船の御遺体に紛れてしまうということなんですけれども。 現実に、多くの御遺体が集まった場合、どうしても短時間で検案していかなければならない。
その関係で、引揚げに際して、例えば引揚者乗船名簿が管理されてございます。これを分析すれば、どの地域から日本に戻ってきたかということが分かるものだと思います。また、外務省よりも北方四島地域の引揚げに関する資料を一部いただいてございます。
しかし発見に至らず、また、佐渡島という地理的な状況にかんがみまして、当日及び翌日のフェリーの乗船名簿等を確認するなど、事件、事故の両面から所要の措置を講じたところでございますが、当時の段階では、大変残念ながら、北朝鮮による拉致容疑事案と判断するまでの情報、証拠等の入手には至らなかったと承知しております。
また、フェリーの乗船名簿等の調査もかなり一生懸命やりました。これでも確認ができないということでございました。それで、十七日に至りまして家出人捜索願が出され、所要の手配を行ったということでございます。
ちょっと観点を変えまして、先日、十日ほど前でしたけれども、たまたまNHKを見ておりましたら、「移住三十一年目の乗船名簿」ですか、こういう番組をやっていました。私は初めからそれを見るつもりではなかったんですけれども、その番組を見ていたらついつい引き込まれまして、とうとう最後まで見ました。 まさに希望を持って南米へ単身で、そしてそこでぜひ夢をかなえたい、こういう人たちが三十一年前に乗船をする。
一つは、遭難船の事故報告や乗船名簿の調査など実相の解明です。もう一つは、遺骨収集などのそういう処理です。これについて沖縄県とも連携をとっていただいて対処なさるべきだと思うんですが、長官の決意をお伺いいたしたい。
この滋賀丸事件というのは、私はもうこれで何回も決算委員会とかでいろいろと質問をしてまいりまして、一昨年の決算委員会で運輸省の当時の寺嶋潔国際運輸・観光局長さんの方から、滋賀丸の乗船名簿について運輸省の方で一生懸命努力をしたんだけれども、今に至るもこれを収集することができないという御答弁をいただいたわけです。
時間もありませんのでちょっとはしょって御説明を申し上げますけれども、当然、乗船名簿もないわけですから、遺族名簿もほとんど完備しておりません。僭越ですが、私は昭和四十八年から十三年間にわたってこの問題を取り上げてまいりました。全国各地のほとんどの生存者に会いました。その中の大多数はもう亡くなっております。 それで、軍属と民間人の犠牲者については大変冷たい。
そして樺太の戦火から逃れるように来たものですから当然乗船名簿もないんです。ですから、遺族会そのものも結成されるわけがないんです。 そういった状況の中でこの事件は私は置き去りにされていたんではないかと思うんですが、この事件についてどう受けとめていらっしゃるか、一言御感想を伺いたいと思います。長官と厚生省。
広範な調査にもかかわらず乗船名簿等を発見できなかったことから、今後も名簿作成はかなり困難なものと考えられますが、引き続き関係情報の収集には努めてまいりたいと考えております。
滋賀丸の乗船名簿につきましては、運輸省内はもとより、運輸省所管の公益法人であります海事産業研究所、それから船舶の所有者でありました関西汽船、それから防衛庁の防衛研究所、さらに国会図書館等、広範な調査を徹底的にいたしましたが、大変残念ながら御指摘の名簿、つまり滋賀丸の乗船名簿については発見することができませんで今日に至っております。
乗船前には乗船名簿に必ず記入してください、乗船したら救命胴衣を着用してください、それから、船内、釣り場では船長の指示に必ず従ってくださいということを呼びかけまして、徐々に組織の組合もふえましたし、傘下の組合員の数もふえてきました。おかげさまでそういった組織で一応活動しているためか、三年有余の間に死亡につながるような利用客の不幸な事故というのは一件も発生しておりません。
うちのおやじも乗船名簿に入っておった。河上丈太郎一派で札幌から来るところでしたが、うちのおやじの生家は余市なものですから、幸い墓参のおかげで助かった。菊川先生、冨吉先生方が犠牲になった。当時から非常に叫ばれたことだけに、大臣もやはり東北のお一方として思ったと思います。 さらに、いろいろな新聞があるのですが、毎日の相川さんという記者さんですか、「私は、生っ粋の道産子である。」
当局は、この「竜金号」の乗船名簿の中で鄭雲吉、朴廷烈、これは調べようがないわけなんです、乗ってなかったのだから。そして朴廷烈の名前の中で金大中が連行をされた、こうこうことなんです。だから、あなた方が調査をでき得なかった、それは当然でしょう。 その他の、いま六人の名前の中で、調査をされたという人物はだれとだれですか。
○井上(一)委員 私は限られた時間で非常にはしょった質問になるわけですけれども、鄭順男のみに対象をしぼられた、そして他の六名については調査ができ得なかった、こうこうことでありますけれども、朴廷烈が金大中氏であるという確信を私自身は持っているわけだし、捜査当局が、このことについて、いわゆる乗船名簿から疑わしきいろいろな事柄について、今後捜査をより深く進めていくという決意を持っていらっしゃるのかどうか。
乗船名簿の中で、文世光並びに関係者の乗船した、しなかったという点、名簿に載っておった日にちが食い違っておるとかということが非常な問題になってきているわけですし、少なくとも椎名特使は、二十人、三十人の人たちが入れかわっておるというような話を聞いてきたということをおっしゃっているのですから、そういう事実があったかなかったかという点は、法務省のほうとしても外務省のほうとしても的確につかんで、もうはっきり問題
それで、先ほど橋本さんが言ったように、乗船名簿とかいろんな考え方があるらしいんですが、海のシージャックに対するむずかしいという点はどの程度まで検討されてきたのか。つまり、瀬谷君やその他の委員からいろいろ言われてきて、なるほど船ということを想定された。想定されたけれども実質的に言うとなかなか内容がむずかしい。
この前あなたたちがここで、当委員会で約束したことも、事人命に関することだから、あくまでこれは身元を明らかにする、乗船名簿というものは厳重を期す、こういう御答弁だったと思う。そういうことはどう徹底しているのか。今度の問題ではしなくも同じような問題が起っておる。繰り返しになっている。
それから、これは海運局長に伺えばいいことだと思うのでありますが、すべて短かい距離の船旅行でありましても、青函連絡なども必ず乗船名簿、住所等を書かせるのでありますが、ここの連絡船においてはそれを十分にやったのか。何かあの当時の調査でありますと、船の出る前にかけ込んだ人がある。乗船名簿なんか書かなかった。
○政府委員(粟澤一男君) 乗船名簿は作っているのであります。大体厳重に乗船名簿を作らせるように指示いたしております。業者におきましても、そういうことになっておりますが、完全に乗った者全部がその名簿に記載されているかどうかという点については、まだ明らかにいたしておりません。
結局乗船名簿というものがなかったのですから、確実な数字は出てこないでしょうが、私どもがあちらを十四日の朝だって東京に帰って参りまするときには、百五十六名の死者の数字が出ておりましたが、船内にいまだにその遺体が残っておるかどうか。私どもと一足違いで現地においでになった運輸大臣に、この点についてどういうことになっておるか、お聞きしたい。
○内村清次君 先ほどの乗船名簿と関連もありますが、逐次の遭難者の生死の御発表、これが確かに時間的にも——これは御遺族の方々ももちろんでございますが、あるいはまたは一般国民が受けました感じというものは、まだまだ行方不明の方々がおられはしないだろうかというような感じが多分にあると思うのですが、と同時に、その点に対しては、先ほどの御答弁では、連絡があって、家族の方々からの連絡があったときにおいて、あとの生死不明
次に運輸大臣がお見えになりましたから運輸大臣に伺うのでありますが、運輸大臣がこの間御報告されました、あの宇高連絡船の紫雲丸の沈没について御報告があったのでありますが、平水航路であるために乗船名簿は備えつけないけれども、大体において乗客の数をつかみ得た、こういう御報告であったのですが、私どもが考えますると、この時節柄私はこの運輸大臣が御報告になられたような乗客数ではなくて、もっともっと多くして、また死亡者等